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2013年01月21日

みもとに来るなら癒してくださる主

■S:今日の聖書の言葉
  マタイによる福音書4章24節(詩篇125篇)

★  イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで、人々は、さまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかん持ちや、中風の者などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをお直しになった。  

■O:今日のコラム

イエス様が人々を癒すといううわさが広まりました。イエス様は彼らを癒してくださいました。ここに大事なポイントがあります。

それは、「みもとに連れて来た」者をみな癒されたということです。

『夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。』(マタイ8章16節)

『イエスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り、自分だけで寂しい所に行かれた。すると、群衆がそれと聞いて、町々から、歩いてイエスのあとを追った。イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。』(マタイ14章13−14節)

『すると、大ぜいの人の群れが、足なえ、不具者、盲人、おしの人、そのほかたくさんの人をみもとに連れて来た。そして、彼らをイエスの足もとに置いたので、イエスは彼らをおいやしになった。』(マタイ15章30節)

イエス様のもとに来るならば、必ず癒されるのです。また、イエス様のもとに連れてくるならば、どんな人でも、どんな状態の人でも、癒されるのです。

癒しとは、回復を意味します。その回復は、私達の生まれつきのものへの回復ではなく、主が元々与えてくださっているところへの回復であり、勝利です。

それは身体だけではありません。経済の回復であり、人間関係の回復であり、喜びの回復です。

イエス様のもとに来るなら、また、人を連れてくるなら、必ず回復があるのです。

■A:考えてみよう

人々をイエス様のもとに連れて行く、自分自身、イエス様のあとを追うとは、どう言う意味だろう? 祈りに、職場で、家庭で、どうすることだろう? 考えてみよう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ  】
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2013年01月14日

主の油注がれた者を軽んじない

■S:今日の聖書の言葉
  第一サムエル記24章5節(第一サムエル記23章)

★  こうして後、ダビデは、サウルの上着のすそを切り取ったことについて心を痛めた。  

■O:今日のコラム

命を狙われているダビデにとって神が与えたまさかのチャンスが訪れました。
ダビデたちの隠れていたほら穴にサウルが用を足しにやってきたのです。

しかし、ダビデは、サウルの命を取ろうとする部下たちを抑えて、ただ上着のすそを切り取りました。そのことは効果的にサウルに命を奪うチャンスがあったが、見逃して自分がサウルの敵ではないことのアピールになりました。

しかし、ダビデは、切り取ったすそを見るたびに心が痛くなりました。
なぜならば当時、『上着のすそを切る』というのは、不忠、裏切りの意味があったのです。『上着のすそをつかむ』というと、逆に主人に忠実、従順の意味があったそうです。

このことから、油注がれた者に対して、私たちが忠実な心をもっていて欲しいということが分かります。

ただ逆らわない、非難しない(兄弟を批難するなら、それは殺すことと同じであるとイエス様は言っています)ということを越えて、隠れた所でも忠実でありなさいという意味です。

もちろん油注がれたといっても人間であって、間違いはあります。
質問や忠告することもあるでしょう。サウルも間違いを犯していたのは確かです。

しかし、ダビデは攻撃しなかったどころか、不忠の代名詞である『上着のすそを切る』ことを自分がしたことに心が痛んだのです。

■A:考えてみよう

教会の中で油注がれた者である、牧者に対して、忠誠な心を持つ

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】
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2013年01月11日

信仰の告白による勝利

■S:今日の聖書の言葉
  第一サムエル記17章45−46節(同18章)

★  ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。きょう、主はおまえを私の手に渡される。・・・」

■O:今日のコラム

今日の箇所は聖書の中でも非常に有名なストーリーの一つ、少年ダビデとゴリアテとの対決です。この箇所から学ぶ信仰の勝利の秘訣は多くありますが、今日注目したい一つの事は、信仰の告白による勝利という事です。

イスラエルの前に強敵ゴリアテが立ちはだかった時、イスラエルの民はゴリアテの大きさを見て恐れました。

しかし、イスラエルから完全に勝利の信仰を奪ったのはゴリアテの言葉でした。

聖書には「サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。」(11節)と書かれています。

そのうえゴリアテは四十日間、朝早くと夕暮れに出てきて姿を現し、イスラエルの陣営をののしり、彼らの小ささ、弱さを声高らかに宣言しました。

これは祈りの家の働きの逆バージョンです。
祈りの家では朝に夕に日々絶え間なく主への賛美、祈りが叫ばれていますが、ゴリアテは朝に夕に神をののしり、イスラエルの陣営をあざけりました。

その中で、立ち上がったのがダビデでした。
ダビデはゴリアテを前にして敵の大きさではなく、主の御名の大きさを宣言し、そして、その信仰の宣言をした通り、たった一つの石ころでゴリアテに圧倒的な勝利を得ました。

ダビデは、敵を前にした時突然に、信仰や石を投げる能力が湧いてきたのではなく、日々の生活で神様と親密な関係を持つ中で信仰が養われ、また日々襲って来る猛獣に向かって石を投げ、主はどんな自分より強い猛獣にも勝利を与えてくださるというレッスンを受けていたのです。

その為にゴリアテを前にしても恐れる事なく、日々行っている事をその場で解き放ったのでした。

私達も日々、主との親密な関係の中にあってこの信仰の石を投げ続けましょう。

毎日、生活の中で様々な恐れや不安、病の痛み、心の悲しみ、経済や人間関係の悩み、不満や怒りが湧き上がって来るものです。

しかし、その中にあって御言葉を固く握り信仰の宣言をし続けるのです。

病に向かって、不足に向かって、ビジネスに対して、家族や街、国の救いに対して信仰の言葉を宣言し続けましょう。

すると小さな石ころが、あの大きな強敵ゴリアテを打ち負かした様に、私達の信仰の告白は後にこの世に大きなブレイクスルーを解き放つ事となります。

「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」(黙示録12章11節)

■A:考えてみよう

今日から心を新たにして信仰の言葉を宣言し続けましょう。
私達の人生の勝利も敗北も私達の内側(思い、心の中)から始まって行くからです。

なので日々新しく聖霊様に満たされ、御言葉を固く握って今日も共にダビデの様に立ち上がりましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】
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