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新宿シャローム教会ホームページ

2012年03月23日

自分の仕事を終える時

■S:今日の聖書の言葉
  出エジプト記40章33−34節(同39章)     

★  また、幕屋と祭壇の回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛けた。こうして、モーセはその仕事を終えた。そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。

■O:今日のコラム

  私は、ここ数ヶ月間、全国を回って様々な働きをする機会をいただきました。
  主の為の働きをする事は、心からやりがいと喜びを感じる事です。

  しかし、忙しく働けば働く程、自分の内側で喜びが無くなって行く事を感じました。
  そこで、私は全ての働きを終えて、主の御もとで憩う時間を持つ事の大切さを学び、実行しています。

  今日の箇所にはモーセが神様から示された、幕屋の建設を終えた事が記されています。
  モーセが仕事を終えた時、主の栄光が幕屋に満ちる事となりました。

  もちろんモーセが働いている時にも、主は彼を導き、共に働いておられました。
  しかし、人が自分の手のわざを終えて、主の御もとで安息する時、主が私達の思いも力も遥かに超えて働かれる事となるのです。

  だから、聖書にはこの様に記されています。
 「神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。」(ヘブル人への手紙4章11−12節)。

  安息に入るよう力を尽くして努め。とは面白い表現だとは思いませんか。

  安息を得る為に努力する必要があると聖書は言っているのです。
  特に私達日本人は働きすぎる性質を持っています。休む事に罪悪感を覚える事があるものです。

  教会やミニストリーにおいても、主と共に時間を過ごす祈りを持つよりは、イベント、ミーティング、プログラムと、様々な働きを優先してしまう事があるものです。

  もちろん私達が努力して働きを進める事は大切な事です。
  しかし、今日の箇所を通して、私達が自分の働きを終える時に、主が栄光を現わされるという事を心に覚えましょう。

  その為に、努力して、あえて時間を作って、主の御もとで憩う(祈りと御言葉の)時間を生活の中に設けましょう。

  主を愛し求める者の為に主は私達が休んでいる間にも全ての必要を備えてくださるお方です。
 「あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。」(詩篇127篇2節)。
 
■A:考えてみよう
  今日、力を尽くして努めて安息の時を生活の中に持ちましょう。




■P:祈り
  イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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2012年03月22日

神様が私たちに託されていること

■S:今日の聖書の言葉
  出エジプト記38章23節(同37章)

★  ダンの部族のアヒサマク子オホリアブは、彼と一緒にいて、彫刻、設計をし、また、撚り糸で織った亜麻布に、青、紫、赤の糸で刺繍する技能者として指導にあたった。(現代訳)

■O:今日のコラム

 皆さんは、普段、あまりデザインの事に関して考えたりはしないのではないかと思います。今、ふと周りを見回してみてください。あなたの目に入るもの全ては、誰かがデザインしたからこそ、そこに存在しているのです。

  デザインを仕事としている僕は、見るもの全てがデザインの勉強になります。たとえ、まだイエス様に出会っていない人が作った作品であったとしても、その人自身は神様ご自身がデザインされた最高傑作です。

  だから、その人が作る作品の中に、神様の素晴らしさを見出したりすることがあります。彼らが本当の救い主と出会って、その力を神様に捧げることができたら、どんなに素晴らしいかと願い、祈っています。

  さて、長かった出エジプト記もようやく終わりを迎えようとしています。ずっと同じような文書の繰り返して、ぼーっと読んでると「あれ?これさっき読んだよな?」と見返すとすぐ前に同じような事が書かれていることはよくありますよね。しかし、そのすべてが必要だから、聖書に記されているのだと思います。

  そんな出エジプト記の最後を読んでいて、今日の聖書の箇所が目に止まりました。それは、神殿の建築を支えたオホリアブという人物です。

  彼は、超優秀なデザイナーでした。また、その名前の意味は「父の天幕」という意味だそうです。まさに、天幕の建築のために召されて生まれてきたといっても過言ではないかもしれません。

  彼はダン部族の出身でした。ダン部族とは、ラケルの女奴隷ビルハが、ヤコブに生んだヤコブの第5子から始まっています。ダン族出身の有名な人では、サムソンがいます。

  しかしながら、ダンの父であるヤコブは、死の直前に12人の息子たちへの預言の中で、ダンの子孫は小部族族ながら、蛇のような狡猾さと機敏さで敵に打ち勝つと言っています(創世記29章16節)

  また、黙示録の7章4〜8節に祝福されたイスラエルの12部族、14万4千人が出てきますが、その中からダン部族は除外されています。これはダン部族から反キリストが現れると言う黙示文学の一つ偽典「12族長の遺訓」から言われたり、当時のラビの文学を研究するとダンは偶像崇拝と不品行を行なっていたからなど、諸説がありますが、本当のところはわかりません。

  ちょっと話が脇道にそれてしまいましたが、いずれにしろ、ちょっと一癖ある部族の出身だったことは確かです。今も昔も、デザイナーはちょっと変わりものであったというのは変わらないようですね。

  さて、オホリアブには、上司がいました。それは一つ前の22節に出てくるベツァルエルという人物です。そして、ベツァルエルにも、上司がいました。それはモーセです。モーセも、ある方の言うことに聞き従っていました。それは、"主"です。

  主がモーセに命じたことを、アートディレクターであるベツァルエルがテキパキと仕事を割り振り、腕のいいデザイナー・オホリアブがそれを形にして行きました。そうして、人の手によって主が示された神殿が完成されていったのです。

■A:考えてみよう

  ここでのポイントは、主が超自然的な力を使って、神自らが神殿を建設されなかったというところです。それは、人の手によって、時間とお金をかけて完成されました。

  神様は私たちにヒントを下さいます。また、必要な助けを送って下さいます。しかしながら、神様は私たちの働きを直接行うことはされず、私たちに任してくださってるのです。なんと寛大で忍耐深い神様なのでしょう!

  それでは、今の時代において、私たちがするべきことは何でしょうか。

  それは、まず、神様の御声をきくことです。その声はかすかで、耳を澄まさなければ聞こえないかもしれませんが、確実に神様はあなたに語り続けてくださっているはずです。神様との親密な関係の中で、神様の声を聞きましょう。

  次は自分の使命をつかみとることです。神様があなたにしか成し得ないことを任せてくださっています。他の人とは比べる必要はありません。神様とあなたの関係の中で、それをつかみとってください。

  そして、それを実行することです。神の声を聞くだけでなく、それを実行に移す必要があります。いつでしょうか?

  今すぐにです。神様は、あなたが一歩を踏み出すのを、今か今かと待ち望んでいます。あなたがその一歩を踏み出した瞬間、あなたを通して神様の栄光がこの地に解き放たれていくと信じます。

  キリストの体の一部である私たちが、それぞれに任されたことを忠実に管理し、行なっていくことで、キリストの体が建て上げられていくと信じます。
  僕は、デザイナーとして、神様の栄光を現していきたいと願っています。あなたはどうですか?




■P:祈り
  イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しゅん 】

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2012年03月21日

喜んでささげる

■S:今日の聖書の言葉
  出エジプト記35章21、22節a(出エジプト記36章)

★  心に感じた人たちは、天幕や必要な器具類、聖なる服を作るための材料を、ささげ物として持って来ました。男も女もです。みな喜んでささげる人ばかりです。(リビングバイブル訳)

■O:今日のコラム

  このところ、「ささげる」ことを学ばされています。
  今日の箇所では、モーセの呼びかけに応えた民がさまざまなものを持ってきたことが記されています。それも、いっぱいすぎて「もう持ってこなくていいよ。」と言われるまで、民はささげました。

  何をささげたかというと、今で言えば、教会に関わるもの、礼拝に関わるものをささげました。モノもあれば、技術や賜物もありました。
  そして、そのささげものには神様に対する「心」があったと信じます。

  私たちがささげることができるのも恵みです。
  自分に与えられているもの(=神様から管理を任されているもの)を神様の教会を建て上げるために、これからも思い切って喜んでささげていきましょう。
  心からささげるものを神様は喜んで受け取ってくださると信じます。

  私事ですが、現在、家を建てています。その家は、自分たちが思っている以上に恵みに溢れています。
  これは、まず神様のために新会堂献金をささげたからだと信じます。神様にまずささげることは非常に大事なことだと改めて学ばされています。

  これからも与えられているものを喜んでささげ、神様の祝福の道を歩みたいと願います。
 
■A:考えてみよう
 「ささげること」の恵みについて思い出してみよう。
  自分は、神様のものをちゃんと管理しているだろうか?




■P:祈り
  イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まろ 】

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