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2012年11月22日

掛け橋

■S:今日の聖書の言葉
  士師記20章26節、ペテロの手紙 第一 1章15節

★  士師20:26  それで、すべてのイスラエル人は、こぞってベテルに上って行って、泣き、その所で主の前にすわり、その日は夕方まで断食をし、全焼のいけにえと和解のいけにえを主の前にささげた。

★  1ペテ1:15  あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。

■O:今日のコラム
 
  士師記の中での出来事です。ベニヤミン族の中で、神様の前に恥ずべき行為、忌み嫌われる罪を行なった者がいました。

  イスラエル人は、たとえそれが自分の身内であるベニヤミン族の者であったとしても、悪は悪として取り除くべく、そのよこしまな者たちを殺そうとしましたが、ベニヤミン族はそれに協力せず、結局イスラエル人vsベニアミン族で戦うことになりました。

  最初の二度の戦いに敗北したのはなんとイスラエル人でした。3度目の戦いの前にイスラエル人は、初めて主の前に泣き、断食し、いけにえをささげて主の助けを心から求めたのでした。

  私たちの中にも、神に喜ばれない部分があります。誘惑に弱い部分、神の前にさし出せていない人間関係、へりくだりの足り無さ…etc  けれども、それを自分の中から取り除くことは自分の力では出来ません。イスラエルの民も2度の敗北の末にそれを痛感しました。

  先日、タンザニアから来られたガジマ師は「油注ぎ」について語られ、その最も力ある油注ぎとして「祭司としての油注ぎ」を挙げ、「祭司としての油注ぎがあなたがたには必要です。」 と日本にチャレンジを与えて下さいました。

 「祭司は、神と人との掛け橋、神と神を知らない人々との掛け橋である」と語られました。終わりの時がもうそこまで迫っている今日、私たち1人ひとりが今、置かれている場所、任されている場所 (学校、職場、家庭…etc) で祭司となることが必要です。

  私たちには、神と神を知らない人々との掛け橋となる務めがあるのです。そのために、ペテロがいうように、『私たちを選んで下さった「聖なる方にならって、…あらゆる行ないにおいて聖なるものとされ」る必要』 があるのです。イスラエルの民のように、主の助けを求めて自分たちの中から悪を取り除かなくてはならないのです。

  行ないにおいて聖なるものとなるとは、決して律法的になることではありません。私たちは、愛する人が喜ぶことをしたい、愛する人が悲しむことをしたくない、と思う性質をもっています。

 「聖なるものとされる」とは、神の恵みを感謝するゆえに、神を愛するゆえに、神の喜ばれないことから身を清めることなのです。時には忍耐や犠牲が伴うかも知れません、けれどもひとりではありません。私たちは共に励まし合い、主の新しい油注ぎを受けていきましょう!

 「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」(ペテロの手紙 第一 1章13節)
 
■A:考えてみよう

  自分の周りにいる神を知らない人々(家族、仕事仲間、クラスメイト、友人) の顔を思い浮かべてみましょう。自分が彼らと神様との掛け橋であることを覚えて、とりなし(祭司の務めのひとつ)、彼らの上に救いの御業が成されるよう祈りましょう。




■P:祈り
  イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】
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2012年11月20日

主に近づく

■S:今日の聖書の言葉
  士師記18章6節、ヤコブの手紙4章5-10節

★  士師18:6  その祭司は彼らに言った、「安心して行きなさい。あなたがたが行く道は主が見守っておられます」。

★  ヤコ4:5-10  それとも「神は、わたしたちの内に住まわれた霊を、ねたむほどに愛しておられる」と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。

そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。

罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。

■O:今日のコラム

  11月20日の朝です。今日1日もイエス様を求めて近づいていきましょう。イエス様の御声に聴き従っていきましょう。

  士師記の時代、それぞれの人々は自分の良心に従って生きていました。祭司であってもそうです。今日の箇所の祭司は、良いことを言っているように聞こえます。しかし、一回も主を求めて主の御声を聞かず、主の御名を使って宣言しました。その結果、ダン氏族は、自分に与えられている約束の領地に満足していなかったので、安らかな民たちを虐殺してしまうという悲劇をおこしました。

  僕らも、イエス様に聞かずイエス様の御名を使って宣言してしまうときがあるかもしれません。それは、非常に恐ろしいことです。
 
  僕らは常にイエス様を見上げることが必要です。イエス様の十字架と復活で、僕らの内側には聖霊様が住んでくださるようになりました。聖霊様は、天のお父さんが最高に愛しておられる方です。その方が僕らの内側におられるのです。素晴らしい恵みです。

  聖霊様によって、僕らは神様に従うことができます。そして、悪魔に立ちむかい、勝利を得ることができます。
  聖霊様によって、僕らは神様に近づくことができます。そして、神様も近づいて下さるのです。

  聖霊様によって、僕らは神様の前にへりくだる者になることができます。そして、神様がへりくだる者を高くして下さるのです。

  常に聖霊様を通してイエス様を見上げ天のお父さんに近づいていきたいですね。
 
■A:考えてみよう
  聖霊様の油注ぎを求めていきましょう。聖霊様が共におらおられるならば、あなたには何ができますか?




■P:祈り
  イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひろみち 】
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2012年11月19日

今いる場所

■S:今日の聖書の言葉
  士師記17章9節(ヤコブの手紙3章) 

★  ミカは彼に言った。「あなたはどこから来たのですか。」彼は答えた。「私はユダのベツレヘムから来たレビ人です。私は滞在する所を見つけようとして、歩いているのです。」

■O:今日のコラム

  この頃のイスラエルを一言で言うなら、『めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた』(6節)時代です。全ての登場人物にその事は、当てはまりますが、特にここでは、このレビ人に注目してみたいです。

  彼はユダ族の領地に住むレビ人でした。当時のユダ族は、12部族の中で一番領地の占領が上手くいっていたと言える部族の一つです。レビ人は、各部族の中に町をもらい住み着きながら、主に仕えて働く部族でした。彼にも十分に住むための環境は与えられていたでしょう。

  にも関わらず、彼は旅に出ました。『もっと良い環境に身を置きたい』という願いをもって。

  彼がそのような願いを持っていた事は、『毎年、銀10枚、衣服、生活費を差し上げますから、ここの祭司になってください』という条件に同意したこと、また、ダン族に『一人の祭司でいるのと、部族の祭司でいるのとどっちがいいんだ』と言われ、ダン族についていったことから理解できます。

  しかし、主は、そのような理由で住んでいた町を出て行くことを望んではおられません。それは、主が与えた環境なのです。その場所を祝福し、そこの人を愛することが彼の、そして私たちの使命なのです。

  となり人を愛するという話題の中で、となり人とは誰ですか?という問いがイエス様に向けられました。そこで、イエス様は、良きサマリヤ人のたとえを話されました。傷ついた旅人のとなり人となったのは、愛する対象を自分の意思で選ばなかったサマリヤ人でした。

  私たちの愛すべきとなり人とは、自分の好みで選ぶ人ではなく、主が引き合わせてくださる人のことです。

  彼らは自分の目には正しいと見えることを行っていました。しかし、『人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。』(箴言14章12節)とあるように、私達は道を感覚によって、計算によって、自分の頭脳、経験によって、決めるなら間違った道に進みます。

  私達は、辛いと仕事を変えたいとか、人間関係がスムースでないと友達を変えたいとか考えがちです。

  しかし、たとえ、環境を変えることが自分にとってハッピーであると感じても、主の召しであると信じるなら、その場所、そこの人を愛して行きましょう!
  それが真のハッピー、主の用意しておられる幸せがある道だからです。
 
■A:考えてみよう

  その場所、そこの人から逃げない!そして祝福する、愛する。




■P:祈り
  イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】
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posted by shalom3 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 士師記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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