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2011年09月27日

いっさいの権威 いっさいの権威

 

■S:今日の聖書の言葉

  エステル記9章29節(エステル記10章)

  

★  アビハイルの娘である王妃エステルと、ユダヤ人モルデカイは、プリムについてのこの第二の書簡を確かなものとするために、いっさいの権威をもって書いた。

 

■O:今日のコラム

 

  良い9月27日の朝ですか? 今日も神様の権威を信じ賛美していきましょう。僕らに、神様の権威が任せられているからです。

 

  エステルとモルデカイは、プリムの祝日が代々に途絶えないようにするために、いっさいの権威を使っておふれを書きました。

 

  僕らは、イエス様の十字架と復活によって、永久に神様の素晴らしさを味わうことができるようになりました。自分たちの敵を除いて休みを得て、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わり、互いに愛を分かち合うことができるようになりました。この喜びを、サタンはいつも取り除こうと狙っています。

 

  その時、僕らは神様の子供としての権威を使うことができます。イエス様の御名の権威を信じた時から、神様の子供としての権威が与えられたからです。(ヨハネの福音書1章12節)

 

  僕らは、敵に対して、神様のすべての権威を用いて対抗することができます。そして、その戦いは、イエス様の十字架によってすでに勝利しているのです。だから、神様を賛美していきましょう。神様をもっと知ることができるように祈っていきましょう。いっさいの権威を用いていきましょう。

 

■A:考えてみよう

  神様の子供としての権威をあなたはどのように使いますか?

 

■P:祈り

  イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

 

【 ひろみち 】

 

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2011年09月26日

ギリギリまで進んで待つという態度

■S:今日の聖書の言葉
  エステル記7章2節(エステル記8章)
★  この酒宴の二日目にもまた、王はエステルに尋ねた。「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」  

■O:今日のコラム
 
  エステル記も終盤に入り、内容は胸のすくような劇的な展開になっていきます。
  でもただ単に面白いストーリーで終わらせず、そこから学びたいと願います。
 
  今の私が大切なポイントを一つ得るとしたら、時が満ちるのをギリギリのラインまで進んで待つという点です。
  エステルは、断食をして熱心に祈り、自分のいのちを捧げて歩むことで道が開かれていきました。せっかちな人なら、命を失うことも恐れていないのだから、最初に王の前に進み出たときにユダヤ人の救いを願えば良いじゃないか、と感じるかもしれません。しかし、この時にその願いを申し述べていたならば、かなわなかったかもしれません。

  ハマンは、最も王の信頼の厚い部下であり、自分は30日間お呼びのかかっていない妃。男尊女卑の強い当時のこの社会は、王の招きに応じなかった為に前の王妃は退位させられたほどです。そこでエステルは、宴会を開き、そこにハマンと王を招いて話を切り出すチャンスを伺うことにしました。彼女はギリギリのラインまで進んで待ったのです。

  その宴会では、結局、話を切り出す機会がありませんでした。「国の半分でもあげよう」なんていうのは、「何でも買ってあげるよ」と同じくらい慣用的に使われる表現で、真に受けて大それた願いをするならとんでもないことになりかねません。しかし、チャンスは必ず来ると信じて、「明日も二人で宴会に来てください」と願いました。ここでも彼女はギリギリのラインまで進んで待ったのです。そしてその夜、主は、エステルに扉を開かれました。王に働きかけ、翌日にはモルデカイにこの上ない名誉を与えました。ユダヤ人であり養父であるモルデカイが栄誉を受けたことは、エステルにとって、話を切り出すこの上ないチャンスでした。

 このことは、ギリギリまで進み出て、待つということが無ければ生まれませんでした。祈り求め、ギリギリまで進み出たことに主は応えてくださり、扉を開かれたのです。自分の力でただがむしゃらに進むのでもなく、祈ってただ何もせず待つのでもなく、主に祈り願い、ギリギリまで進み出て、扉を開かれる権威を持っておられる主を待ち望みましょう。
  
  祈らず進むのは愚かな心。万が一に成功しても自分の力を誇るようになるでしょう。
  一方、祈っても一歩も進まないのは、怠惰で高ぶった心です。
  エステルのように、命を捧げる心とともに、ギリギリまで進んで待つ、へりくだりの心、誠実な心を求めます。
 
■A:考えてみよう
  特に、私たちが誰かに伝道したいと思うならば、エステルに習い、祈り、その人に対してギリギリまで進み、主が福音を語るための扉を開かれることを信じ、主を待ち望みましょう。




■P:祈り
  イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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2011年09月25日

ともに歩んでくださる神

■S:今日の聖書の言葉
  エステル記6章13節(エステル記5章)
★ 「あなたはモルデカイに負けかけておいでですが、このモルデカイが、ユダヤ民族のひとりであるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。きっと、あなたは彼に負けるでしょう。」

■O:今日のコラム

 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)

  エステル記を通して、「神様は、私たちにご計画・使命を与えてくださり、その実現のために、ともに歩んでくださっている」ということを強く感じました。

  どんなに苦しい状況でも、そこから逃げるのではなく、神様に祈り、御心の実現を願い進んでいくとき、神様は、神様の方法で、道を切り拓いてくださいます。

  ただ、苦しみの中を進んでいる時、私たちにはそのことが分かりません。しかし、イエス様はこのように答えてくださっています。

 「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」(ヨハネの福音書13章7節)

  私たちがしていることは、今は私たちにはわからないかもしれません。
  けれど、神様・イエス様、そして、今私たちとともにいて導いてくださる聖霊様を信じて、祈りながら進んでいきましょう。
  私たちが力強い信仰を持って歩むとき、神様は、神様の方法で、私たちを圧倒的な勝利者へと導いてくださいます。

 「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28章20節)

 「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ人への手紙8章31節)

 「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」
(ローマ人への手紙8章37節)
 
■A:考えてみよう
 
 「主は、今日もともにいてくださっている」、「今生きて私の人生に働いてくださっている」と力強く宣言しましょう!
  主は、主の方法で、私たちの人生を力強く導いてくださいます。




■P:祈り
  イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 じょうじ 】

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