■S:今日の聖書の言葉
ヨエル書3章16節(テモテへの手紙 第ニ 4章)
★ 主はシオンから叫び、エルサレムから声を出される。天も地も震える。だが、主は、その民の避け所、イスラエルの子らのとりでである。
■O:今日のコラム
ヨエル書全体のメッセージは、簡単な言葉でいえば、「エルサレムよ、滅びの日は必ず来る。それは主のおすみつき、必ず来る。軍隊を率いてトータルな滅びが、必ずやってくるぞ、目を覚ましてその日に備えよ」です。
このような国の危機的状況、滅びが宣告されているときに、「きよめの集会のふれを出せ(民よ集まれ)」と召集がかけられますが民は集まりません。一章でも二章でも召集がかかっているのに集まらない、お酒に酔ってだれている民。
そんななさけない、だれきっている民に対して、神様は、滅びの日が「裁き」ではなく「救い」となるために備えよ、「悔い改めよ」と語られるのです。
「悔い改めなさい」は神様の愛のメッセージであったのです。
今日の聖句にもあるように、その日、「主は民の避けどころ、イスラエルの子らのとりで」になるとおっしゃります。
「避けどころ」とは、暑い日にほっとできる すずしい場所。 主はそこで民を休ませたかったのです。 そして、「とりで」となり、少し上に登って敵がくるのが見える所から、民を守られる、とおっ しゃっている。
これが、神様の愛ではなくて何でしょうか。
主はその民を守られる、「主の日」は民にとっては「救いの日」になる、どうか民よ、目をさまして悔い改め、わたしに耳を傾けてほしい。そんな想いがこめられているのです。
■A:考えてみよう
シオンの山、エルサレムとは、主が支配している民が集まる場所です。つまり、新宿シャローム教会のように、神様を愛し礼拝ささげるものが集まるところすべて。また私たちの心のまっただ中のことです。そここそが新しいエルサレム。そこに主はおられます。
共に祈りましょう。御国が今日も私たちのうちに来ることを、御心が、地に、私たちが集まるところになるように。
ぜひ私たち自身が日々、御国、御心の中に生きることができるように。今から主の臨在の中で生きることができるように、祈っていきましょう。
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■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 いわ 】
