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デボーションガイド【マナメール】は、下記のページに引越しをしました。

新宿シャローム教会ホームページ

2011年12月29日

永遠にあなたと

■S:今日の聖書の言葉
  マラキ書2章1節(ヨハネの黙示録20章)

★  祭司たちよ、天の軍勢の主の警告を聞きなさい。(リビングバイブル訳)

■O:今日のコラム

  今年も残すところ、今日も含めて3日です。皆さんは今頃、大掃除や年賀状の宛名書きで忙しいかもしれませんね。

  皆さんにとって、2010年はどんな年だったでしょうか。
  この時期、何度も耳にするかもしれませんが、やはり今の時代に生きている私たちにとって忘れることのできない出来事は3.11のことでしょう。

  日本を、世界を大きな悲しみが覆いましたが、そこから立ち上がろうとする被災地の方々の姿に、本当に励まされます。
  この事は終わったことではなく、今もなお継続中の事柄です。覚えて祈り、実際に愛を示すために行動していきたいですね。

  一方、皆さん一人ひとりにとっては、あんなことも、こんなこともあったかもしれません。
  しかし、感謝なことに、そこにはことごとく神様の恵みがあったのではないでしょうか。
  この恵みを記憶の中にだけ留めておくのではなく、書き留めて記録として残し、いつか壁にぶち当たったときにそれを見返すのもいいかもしれませんね。

  今読み進めているマラキ書は、旧約聖書と新約聖書をつなぐ橋渡しのような書簡です。
  マラキは、捕囚から帰った人々に遣わされた預言者で、彼らの霊的熱心が冷え切ったときに活躍しました。

  そして、マラキはこの書物の中で、人々に霊的な問題を真剣に考えるように教えました。
  そこで語られている根本的なことは、祭司の堕落、神殿が軽視されること、家庭における個人的な罪などです。(リビングバイブルの説明より)

  2章では、1節で「祭司たちよ、天の軍勢の主の警告を聞きなさい。」と切り出します。

  新約の時代に生きる私たちにとって、祭司とは誰でしょうか?
  そう、私たち自身です。続けて、こう語られます。

 「おまえたちが生き方を変えず、わたしの名をあがめないなら、恐ろしい刑罰を下す。…わたしにとって何よりも大事なことを、いい加減に扱ったからだ。」
  このあとは、リビングバイブルだと「わたしにささげた動物の糞(ふん)をおまえたちの顔にぶちまけ…」と、ある意味衝撃的なことが書かれています。

  なぜ、神様はここまでお怒りになっているのでしょうか。
  それは、「わたしにとって何よりも大事なことを、いい加減に扱ったからだ。」という部分に隠されているのではないかと思います。

  別の訳で見てみると「わたし(神)に栄光を帰すことを心に留めないなら…」(現代訳、( )内はデボガイ著者注)とあります。
  つまり、私たち人間が神様を第一にしなかったことに対して怒っておられるのではないかと思います。

  このデボーションの記事を書くにあたって、インターネットでマラキ書を調べると、数々の異端の教えが出てきたのには驚きました。
  そのどれもが、神の恐ろしさ、神の裁きを強調しています。

  確かに、神様は裁かれる神です。時には怖い神かもしれません。
  しかし、聖書には、はっきりと「神は愛です」と書かれてあります。

 「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(ヨハネの手紙 第一 4章7節)

  親が子に対して怒ったり、懲らしめたりするのは、子供が憎いからではありません。愛しているからです。
  子供に間違った道を歩んで欲しくないという願い、なるべく失敗をして欲しくないという願いからそういった行動に出るのです。

  神様も、私たちに対して同じような思いを持っておられるのではないかと思います。愛に基づいた懲らしめです。
  それは神様が私たちに対して、願っているただひとつのこと、つまり、神様と共に、永遠に過ごすことを成し遂げるためにされているのではないかと思います。

  聖書は、一箇所だけ取り上げるのではなく、その背景や文脈、また、聖書全体を通してみていかなければ間違った教えになることがあります。
  事実、9節では「わたし(神)に従わず、平気で、自分たちの好きなように法律を変えたからだ。」とあります。

  神様の教えに、人間的な考えを混ぜ込んでしまうことは、とても危険なことです。
  今でも、世界的に見ると、エコや食糧問題、その他、社会的によく見える事柄を教会の中に持ち込んで、いかにも良く見せようとしている教会があります。

  もちろん、それらの問題に真剣に取り組まなければなりませんが、教会がもっとも強調しなければならないのは、イエス・キリストです。それ以外にはありません。

  たとえ一見よさそうなことを言っていても、その中心にイエス・キリストがいなければ、それはなんの意味もありません。
  黙示録に書かれてあるとおり、イエス様が教会の門の外にたって、「私を入れてくれ!」と叩くという状況がそれかもしれません。

  何も足さない、何も引かない。純粋なイエス様の教えは、その源であるイエス様ご自身から流れ出ます。
  何かと忙しい年末ですが、そういう時こそ、まず静まって、神様と一緒に時間を過ごすことを選択しようではありませんか。永遠に神様と共に過ごすこと、私たちにとてこれほどの喜びはありません。

■A:考えてみよう
  2012年に向けて、自分自身を整えよう。そして、何よりも神様を熱心に愛そう。今までにないほどイエス様を愛する2012年にするために、今日、自分にできることを考えよう。




■P:祈り
  イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しゅん 】

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2011年12月28日

「贈り物」

■S:今日の聖書の言葉
  マラキ書1章6-8節(ヨハネの黙示録19章)  

★ 「子は父を敬い、召使は主人を敬うものだ。わたしはおまえたちの父であり、また主人なのに、おまえたちはわたしを少しも敬っていない。
  ああ、祭司たちよ、おまえたちはわたしの名をさげすんでいる。

「だれが?私たちが、ですって?いつ、神様の御名をさげすんだというのですか?」
「わたしの祭壇に汚れたいけにえをささげる時だ。」

「汚れたいけにえですって?いつ、そんなことをしましたか。」 

「いつもお前たちは言っている。『わざわざ高価なものを神様にささげる必要はない。祭壇にささげるのは、足の悪い動物でたくさんだ。そうそう、病気のだって、目の見えないのだってかまわない。』
  これが悪いことでないと言いはるのか。
  総督に、そんな贈り物をしてみろ。喜んで受け取るか、試してみるがいい。

■O:今日のコラム
 
  皆さんは、人の家に招かれて行くとき、どんなモノを持って行きますか?

  私は以前、KINKOUNIYAのいちごを買いたかったのですが、予算オーバーだったため、半額のものを(シールそのままで)持って行きました。
  多少べちゃっとしているところもありましたが、生クリームも付けて、自分も美味しく、他の呼ばれた方たちも、パクパクと美味しく食べて下さいました。

  でも、ホストの方は、多少怪訝そうな顔をしていました・・。
  その数か月後、こんどは自分の家に人を招き、同僚を招いたのですが、同じことがおきました。

  今度はラズベリーの半額パックでした。
  そのとき、私は何てことをしたんだろう?!と思ってしまいました。
  やはり、半額の物を贈られる(しかもシール付きのもの)と、自分の価値が下がるように思ったからです。

  私たちは、いつもどんなプレゼントを神様にしているでしょうか?
  わたしたちの献金は、収入の最初の十分の一でしょうか?
  それとも色々買ったあとに残ったもの?

  イスラエルの人たちは、どうせ全部焼き尽くすんだから、高価な動物を神様に捧げるのはもったいない、と思ったのです。

  でも、それは、折角のささげものを、汚れたいけにえ、「そんなささげもの欲しくもない」(10節)と言われるものにしてしまいました。
  カインの罪と同じなのではないでしょうか?

  私たちは、人を愛するとき、自分の可能な最善を尽くすと思います。
  私の旦那様は、3万円近いプレゼントを誕生日に買ってくれました。
  値段ではありません。でも、惜しまない心に感動するのです。

  主を感動させたいと思いませんか?!
 
■A:考えてみよう

  自分の中に、半額のモノを神さまに(人にも)あげてしまう心がありますか?(私は筆頭です!)
  告白し、悔い改めましょう!




■P:祈り
  イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 れいこ 】

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2009年12月28日

デボーションガイド

■S:今日の聖書の言葉
マラキ書 1章13節(黙示録19章)
――万軍の主は仰せられる。――あなたがたは、かすめたもの、足なえのもの、病気のものを連れて来て、ささげ物としてささげている。わたしが、それをあなたがたの手から、喜んで、受け入れるだろうか。――主は仰せられる。――

■O:今日のコラム
 この宣告は祭司に向けられています。そして、新約の今は、すべての人が祭司とされています。では、ささげ物とは、現代で言うと何に当たるのでしょう。それは、祈りと良い行いです。では、ふさわしくないささげ物とはなににあたるのでしょう。立派ではない祈りと言う事でしょうか?手落ちのある善行と言う事でしょうか?そうではありません。主は、私たちの真実な告白を望まれ、わたしたちがドジなことなど良く分かっておられるのです。この後の14節には、『群れのうちに雄の獣がいて、これをささげると誓いながら、損傷のあるのを主にささげるずるい者は、のろわれる。』とあります。偽りのささげ物を主は、喜べないと言っておられるのではないでしょうか?偽りの祈り、偽りの心で行う善行を主は指摘しておられるのではないでしょうか?立派な祈りでなくても、欠けのある善行であったとしてもいいのです。それはじわじわ向上してくるはずです。真心からの祈り、誠実な心の態度、心をこめた良い行いこそ、主の御前にふさわしいものです。

■A:考えてみよう
自分の生活の中で、習慣的に心に偽りを持ってしまっている部分はないだろうか?




■P:祈り
主よ。私が真心から捧げていない部分がどこであるのか、示してください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【まじまこ】


もっと詳しく聖書の事を知りたい方はこちらまで。→ 新宿シャローム教会

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