マラキ書2章1節(ヨハネの黙示録20章)
★ 祭司たちよ、天の軍勢の主の警告を聞きなさい。(リビングバイブル訳)
この時期、何度も耳にするかもしれませんが、やはり今の時代に生きている私たちにとって忘れることのできない出来事は3.11のことでしょう。
この事は終わったことではなく、今もなお継続中の事柄です。覚えて祈り、実際に愛を示すために行動していきたいですね。
しかし、感謝なことに、そこにはことごとく神様の恵みがあったのではないでしょうか。
この恵みを記憶の中にだけ留めておくのではなく、書き留めて記録として残し、いつか壁にぶち当たったときにそれを見返すのもいいかもしれませんね。
マラキは、捕囚から帰った人々に遣わされた預言者で、彼らの霊的熱心が冷え切ったときに活躍しました。
そこで語られている根本的なことは、祭司の堕落、神殿が軽視されること、家庭における個人的な罪などです。(リビングバイブルの説明より)
そう、私たち自身です。続けて、こう語られます。
このあとは、リビングバイブルだと「わたしにささげた動物の糞(ふん)をおまえたちの顔にぶちまけ…」と、ある意味衝撃的なことが書かれています。
それは、「わたしにとって何よりも大事なことを、いい加減に扱ったからだ。」という部分に隠されているのではないかと思います。
つまり、私たち人間が神様を第一にしなかったことに対して怒っておられるのではないかと思います。
そのどれもが、神の恐ろしさ、神の裁きを強調しています。
しかし、聖書には、はっきりと「神は愛です」と書かれてあります。
子供に間違った道を歩んで欲しくないという願い、なるべく失敗をして欲しくないという願いからそういった行動に出るのです。
それは神様が私たちに対して、願っているただひとつのこと、つまり、神様と共に、永遠に過ごすことを成し遂げるためにされているのではないかと思います。
事実、9節では「わたし(神)に従わず、平気で、自分たちの好きなように法律を変えたからだ。」とあります。
今でも、世界的に見ると、エコや食糧問題、その他、社会的によく見える事柄を教会の中に持ち込んで、いかにも良く見せようとしている教会があります。
黙示録に書かれてあるとおり、イエス様が教会の門の外にたって、「私を入れてくれ!」と叩くという状況がそれかもしれません。
何かと忙しい年末ですが、そういう時こそ、まず静まって、神様と一緒に時間を過ごすことを選択しようではありませんか。永遠に神様と共に過ごすこと、私たちにとてこれほどの喜びはありません。
2012年に向けて、自分自身を整えよう。そして、何よりも神様を熱心に愛そう。今までにないほどイエス様を愛する2012年にするために、今日、自分にできることを考えよう。
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イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
