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2012年12月23日

忠実さという大切な性質

■S:今日の聖書の言葉
  ルカの福音書2章14節(詩篇119篇1-32節)

★  「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

■O:今日のコラム

ルカの2章において、旧約聖書から絶え間なく約束された救い主イエスがいよいよこの地に誕生しますが、その時、この救い主の誕生に気づいた人々の特徴は主に対する忠実さを持った人々でした。

まず、御使いが第一に主の誕生を知らせたのは羊飼い達でした。この箇所からよく「主は見捨てられた者達に良い知らせを伝えられた。」というメッセージを聞きますが、彼らは見捨てられた羊飼いではなく、忠実な羊飼い達だったのです。

エレミヤ書35章の中でエレミヤに不思議な預言を主が語られました。それは「レカブ人を連れてきて彼らにぶどう酒を飲ませなさい。」という預言でした。

しかし、実際にレカブ人を連れてくると彼らは「私達は先祖からの言い伝えを忠実に守っているのでぶどう酒は飲みません。」とエレミヤに答えました。

その時、神様がエレミヤに「レカブ人はこれ程忠実に先祖の言い伝えを守っているのに、イスラエルの民は私に忠実ではなく、私の声を聞かなかった。」と言われ、さらに「レカブ人には、いつも、わたしの前に立つ人が絶えることはない。」と主が祝福を約束されました。

後にこのレカブ人はイスラエルの一つの街を建てます。それがベツレヘムでした。

彼らはベツレヘム近郊で、宮にささげる傷の無い羊を育て、羊飼いとして天幕生活をしていたのです。

つまり、なぜ神様が羊飼いに救い主の誕生を一番にお知らせになったのかと言うと、彼らは何百年にも渡って先祖の言い伝えに忠実になり、旧約聖書の約束の実現を待ち続けていた人々だったからです。

また、エルサレムの宮で幼子イエスを迎えたのはシメオンという老人でした。

聖書にはシメオンについて「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。」と書かれており、シメオンもまた主の約束を待ち望む、聖霊に満たされた忠実な人だったのでした。

さらに、預言者アンナという老女が幼子イエスを見ました。
アンナについて聖書には「この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。」と記されています。

彼女は約60年間に渡って、継続的な断食と祈りの生活を持って、主の約束を待ち望んでいた忠実な人だった事を知る事が出来ます。

この様に、主の約束を受け取り、目撃し、味わったのは忠実な人々でした。だから御使い達が主をほめたたえ賛美した時、「地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」と言っています。

そうです。主の平安は私達が主の約束に従い、主に忠実になる時にもたらされる事となるのです。

■A:考えてみよう

この2012年のクリスマス、共に主の恵みを喜び、また主に忠実になるという決心を主の前に捧げましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】
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2012年12月22日

『主に身を避けた者は顧みられる!』

■S:今日の聖書の言葉
  詩篇118篇8節、ルカ1章13節

★  詩118:8  主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。

★  ルカ1:13  御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
  
■O:今日のコラム

聖書の中で一番短い章(詩篇117篇)と一番長い章(詩篇119篇)の真ん中にある118篇は聖書全体の真ん中におかれている書簡です。

この詩篇118篇の前に594章あって、後ろに594章あります。この594という数字、足すといくつになりますか?

594+594=1188ですね。

聖書の全体のど真中に据えられているバース(節)が実はこの118篇8節なんです。

聖書の一番最初はあまりにも有名でみんな覚えていると思います。最後もなんとなくいえますよね?(笑)
でも真ん中って意外と意識してないですよね。

神様が、この面白い数字のトリックのような必然と共に聖書の中心に据えられた御言葉・・・
それは、「主に身を避けよ!」ということです

日常の生活の中で私たちはどれだけ周りの人に頼っていることでしょう?

職場、学校の周りの人たち、上司、先生からの評価、クライアントの要望、など気にしすぎて胃が痛くなったことはないですか?

あなたの悩みや苦しみを相談する相手は・・? 
お金がないとき、借りた人は・・・?

家族? 親友? パートナー? 友達? それとも自分自身?

今回の選挙で「クリスチャンはどこの政党に入れたらいいの?」と数名に聞かれました。でもその答えを持ってらっしゃる方はただお一人、神様だけです。

主の御心を探り求める! それがはっきりと心に示されるまで諦めずに祈り続け、求め続ける。

「求めなさいそうすれば、与えられます。」(マタイの福音書7章7節)
この御言葉を体験する者となっていきましょう。

人に頼る前にまず神様に頼るという習慣を! 自分自身を主張せず、神様に委ねるということを私もまさに今学んでいる最中です。

子供が欲しかったのにできないままに、年をとってしまっていたエリサベツとザカリヤのところに天使を送って、神様は、あなたの願いが聞かれたといわれました。ヨハネという名前の意味は、「主は顧みられる、主は恵み深い」という意味です。

現代だったら、不妊治療などあらゆる努力をしてしまいがちですが、主は私たちの心の願いをかなえてくださるお方です。

文明の利器や、発達している医療、周りの人に頼るのもいいですが、主に身を避けることは人に信頼するよりもよい! 
聖書のど真中にあえて神様が置かれたこの御言葉を今週握り締めてみませんか・・・

■A:考えてみよう

人に聞くのは簡単です。でもどんなに偉大な人、どんなに信仰深い人よりも確かでパーフェクトな答えを持っていらっしゃるのは、あなたを造られた神様だけです。

その神様との個人的な関係を持っていますか? 
朝起きて最初に口を開き挨拶する相手は誰でしょう?

■P:祈り

人に信頼するより、神様にあなたに信頼することがどんなに素晴らしいことかを今日個人的に体験させてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あすか 】
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2012年12月21日

主の側に立つ者達

■S:今日の聖書の言葉
  ヨハネの黙示録14章3−5節(詩篇116、117篇)

★  彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。

彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。

■O:今日のコラム

黙示録全体を通して光と暗闇のはっきりとしたコントラストを見る事が出来ます。前章の13章の最後には偶像を拝み、獣の印をうける人々の様子が描かれていますが、14章の初めには主を礼拝し、主に仕え、イエス・キリストのしるしを受ける人々の姿が記されています。

終わりの時代には主につくのか? それともこの世につくのか? それが明確に分かれる時とますますなって行きます。

イエス様が言われた様に、私達はこの世と、神との両方の主人に仕える事は出来ません。神様以上にこの世の様々な事を優先し、大切にする時、それがすなわち偶像となって行くのです。

時には主に仕える中で、はっきりとした決心や忍耐が必要な時もあり、主を愛するが故の苦難を味わう事をあるものです。しかし、その報いがどれ程に素晴らしいものであるか私達はこの黙示録を通して大きな励ましを受ける事が出来ます。

今日の箇所には地上から贖われた十四万四千人(贖われた人々全体をあらわす数。12は聖書で聖徒達を現わす完全な数、それがさらに12×12にされる事によって全ての神の民、教会、個人を現わす数となり、さらにそれが1000倍になる事によって天の教会の広さを現わす。)が、新しい歌を主の御前で歌う事が記されています。

さらに、彼らは主との親密な愛の関係の中に生き、主が行く所どこにでも付いて行く事が記されています。

私は、この箇所を読む時、大きな励ましを受け、「私も天の御国で絶えずイエス様の御側にいる者になりたい」という強い情熱が湧きあがってきます。

さらに御言葉は「彼らは傷のない者である。」と言っていますが、その理由として「彼らの口には偽りがなかった。」と言っています。

この箇所は重要な真理を示しています。私達の聖さと、口の言葉には重要な関係があるのです。

私はよく祈る事をチャレンジし、また自分自身も多くの時を祈るという事を日々の生活でチャレンジしていますが、なぜこの祈りが必要なのかというと、それは口を主の聖さの為に捧げる事を意味しているからです。

この年末に黙示録を通して、今一度この世の視点から天の視点へと私達の信仰を向け、共に祈りに励み、主を愛し慕い求めましょう。

■A:考えてみよう

黙示録を通して、悔い改めを持ってこの世の視点から神の国の視点へと私達の心の向きを変えましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】
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2012年12月20日

巧妙な手口を見破る

■S:今日の聖書の言葉
  ヨハネの黙示録13章11節 (詩篇115篇)

★  また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。

■O:今日のコラム

13章には2匹の獣が登場します。

竜 (悪魔) によって送り込まれた1匹目の獣は「ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。」 (2節) とあるように、あからさまに悪そうです。

現に「この獣は、傲慢なことを言い…神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。」とあり、キリストと教会に対抗する行ないは明らかです。

けれども、2匹目は「小羊のよう」とあり、1匹目の獣とは違い、真っ向から教会に戦いを挑む1匹目の獣よりも、もっと巧妙です。大きなしるしを行なって、地上の人々を惑わします。

この「小羊のような獣」に似たものが、私たちの回りにたくさん存在します。

一見、可愛いキャラクターにみえても、実はそのキャラクターがこの世に発信するメッセージは「神は必要ない」というようなものであったり、

『この世は平和』というメッセージが前面に出ていても、実は人々から世の終わりに対する危機感を奪おうとしているものであったり、

「どんな宗教も関係なく共に愛し合おう」という美しく響くスローガンでも、実はその目的は唯一なる神が主イエス・キリストであることをうやむやにさせようとするものであったり…etc 

そのような悪い獣に見えない獣こそ、私たちは注意して見分けないと、惑わされてしまいます。

また、サタンは時に、私たちに「偽の成功」や「なまぬるい満足」という餌を与え、「これなら主を頼らなくても自分で出来るかも知れない。」「これくらいやっとけば、幸せだ。」というような高ぶりや怠けの心を起こさせます。

アクション映画のように派手に戦いを挑まれれば、こちらも派手に応戦できますが、それはとても巧妙で、足音もなく忍び寄るものなので、私たちは本当に目を覚ましていなければ、簡単に上のような惑わしに合います。

では、どのようにそれを避けたらいいでしょう。

それは、いつも主の霊に満たされていることです。

御霊の賜物に、「霊を見分ける力」 (第一コリント人への手紙12章10節) があります。私たちは聖霊に満たされることによって、サタンの巧妙な手口を見分けることが出来るのです。

私の2人の子どもたちが、もっと小さかった頃、私の膝の上を奪い合うことがありました。それは何とも言えない喜びがあります。

天のお父様も、私たちが奪い合うほどにその御もとに駆け寄る時、心からそれを喜ばれることでしょう!

主御自身をもとめ、主の霊に満たされ続けていきましょう。

■A:考えてみよう

自分の回りに、または自分の内側に「小羊のような獣」はいないだろうか?

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】
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2012年12月19日

生ける水の川

■S:今日の聖書の言葉
  詩篇114篇8節(黙示録12章)

★  神は、岩を水のある沢に変えられた。堅い石を水の出る泉に。

■O:今日のコラム

みなさんの心は岩のように固くなっていないか、少し吟味してみてください。

私たちは心をかたくなにしてしまうと、主のみことばは入ってくることができません。

私たちは神様を信じていたとしても、日々の生活に追われ、疲れ、神様にフォーカスできなくなっていれば、心が固くなり、私たちは霊的に弱った状態になります。そうなると、肉の力がより一層強くなり、悪循環に陥ります。

それを予防するために、私たちができる最高の方法は異言で祈るということです。すると、私たちの固くなった心からまるで泉が湧くように、聖霊様が働いてくださいます。

聖霊様の力を日々受け取って歩むことが、毎日の生活で勝利する秘訣です。

ミスチルのHANABIという曲の歌詞の中で「滞らないように 揺れて流れて 透き通ってく水のような 心であれたら」という部分があります。
桜井さんはその答えを求めても知らないからこの歌詞が生まれたのだと思います。

ハレルヤ! 感謝します。私たちはその答えをすでに知っています。

聖霊様が私たちから流れ続けるとき、私たちの心は透き通った心になれます! そして、新鮮な生ける水の川が流れるのであれば、私たちの心は喜び、多くの人々にその流れを届けることができるでしょう。
 
■A:考えてみよう

あなたにとってストレスや苦労から勝利する方法は何ですか?
絶えず新しい水が流れるよう異言で祈る時間を持とう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まろ 】
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2012年12月18日

主に信頼してゆるがない。

■S:今日の聖書の言葉
  詩編112篇6-10節、黙示録11章17-18節(口語訳)

★  詩112:6-10  正しい人は決して動かされることなく、とこしえに覚えられる。彼は悪いおとずれを恐れず、その心は主に信頼してゆるがない。その心は落ち着いて恐れることなく、ついにそのあだについての願いを見る。

彼は惜しげなく施し、貧しい者に与えた。その義はとこしえに、うせることはない。その角は誉を得てあげられる。悪しき者はこれを見て怒り、歯をかみならして溶け去る。悪しき者の願いは滅びる。

★  黙11:17-18   「今いまし、昔いませる、全能者にして主なる神よ。大いなる御力をふるだて支配なさったことを、感謝します。諸国民は怒り狂いましたが、あなたも怒りをあらわされました。

そして、死人をさばき、あなたの僕なる預言者、聖徒、小さき者も、大いなる者も、すべて御名をおそれる者たちに報いを与え、また、地を滅ぼす者どもを滅ぼして下さる時がきました」。

■O:今日のコラム

12月18日の朝です。主に信頼して賛美していきましょう。主は全能者としてすべてを支配される方だからです。

イエス様は敵に対して、決して動かされることがありません。イエス様は悪いおとずれを恐れず、その心は天のお父さんに信頼してゆるぎませんでした。その心は落ち着いて恐れることなく、十字架の赦しと復活の勝利を僕らに与えてくださいました。

イエス様は惜しげなく御自身を施し、心の貧しい僕らに永遠のいのちを与え、愛で満たしてくださいました。その義はとこしえに、うせることはありません。

イエス様は栄光の誉を得て天にあげられました。悪しき者、サタンはこれを見て怒り、歯をかみならして溶け去るのです。悪しき者の願いは滅びるのです。

イエス様は、天のお父さんに信頼する者の勝利を御自身が受け取られました。だから、僕らは主に信頼することができるのです。

■A:考えてみよう

主に信頼するならば、あなたは何ができますか?
主を信頼し、賛美していきましょう。主の大勝利を宣言していきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひろみち 】
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2012年12月17日

ないしょ話

■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録10章4節(詩篇110、111篇)

★  七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。すると、天から声があって、「七つの雷が言ったことは封じて、書きしるすな」と言うのを聞いた。

■O:今日のコラム

ここでヨハネは、雷の語った言葉が重要だったので、思わず書き留めようとしました。しかし、主はそれを封じて書き記すな、と命じました。

かつてパウロも、第二コリント人への手紙12章の中で告白していますが、語ることが許されていない言葉を聞きました。

語ることが許されていないなら、わざわざ語らなければ良いのに、と思ったことはないでしょうか?

主の啓示なのだから、自由にコントロールできるのになぜ?と。
最も大きな理由は、ご自身の思いを伝えたいから、でしょう。

私たちも、似たようなことが身近にあるはずです。特に女性に。(完全な私の偏見ですが。)

『内緒なんだけど・・・って・・・なんだよ。誰にも言わないでね。』という会話を誰もが経験しているはずです。誰でも親しい人にだけは、分かってほしいので、おおっぴらに言って欲しくない事もこっそり教えるのです。

主も同じなのです。この部分は、主のないしょ話なのです。私も主から、こっそり打ち明けられたいです。

大事なポイントは、親しさとともに信頼であると思います。内緒にできない人には、それは打ち明けられないからです。

■A:考えてみよう

祈りと愛に生きることによって、主との親しさ、主からの信頼を得ることを求める。
そこにある大いなる報いに、主からのないしょ話を聞けるという報いを加えて期待する。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】
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